国立公文書館に所蔵(抜粋):早く全文を読んでみたい。


端的に言えばこの裁判は戦勝国の報復行為である。然し表面上公正な裁判を行うことに努力され、裁判の進行中に無理な取り扱いは免れなかったにしても、弁護側の申立を聴くのに努め、戦勝国の行った裁判としては先ず極力公正をを計ったものと言い得ると思う。

本裁判を回想して嬉しく思ふことは、東條英樹君が昭和二十年九月十一日に自刃を果さず本復して戴判に参加し得たことである。同君の立場は昭和十五年七月以降第二次及び第三次近術内閣の陸軍大臣として(昭和十三年十二月より大臣任命迄は陸軍航空総監であり、其の前は陸軍次官であった)より引続いて昭和十六乍十月に首相を拝命して、実に本裁判の主流の中心である。若し同君が居らなかったら最も重要な当時の真相、企図、考慮などが分明になし難かったが、幸に同君が健全になって事情を飾らず卒直に明細、綿密に口供書で陳述し、史に検事の反対訊問に対して日本の立場を堂々と答弁したので、本裁判の主流を明瞭躍実になし得たことは誠に天佑である。

之につけても近衛文麿公、杉山元陸軍大将の自刃は残念であった。此の両氏と米内光政海ボ大将とは支那事変の直前から最大に責任者であって、同事変当初から大東亜戦争に至る間の日本の立場を明確になし得る人々である。自刃は美挙でもあるが、旧敵国の召喚状を受けてからの自刃は責任の逃避になる・・(日経新聞より)

 

2009年5月5日火曜日

嶋田繁太郎海軍大将・獄中記

 
 
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